どうもアラフォーSEのチャメ太郎です。
私は小学校4年生から6年生までサッカーをやっていました。
当時のことを振り返りながらちょっと書いてみます。
良ければお付き合いください。
学んだこと
- きっかけはなんでもいい
- 慣れるまではちょっと大変なこともあるけどやっぱり楽しい
- 人との相性はなんともしがたいこともある
- 好きなことは上手になりやすい
- 家族との一体感は大切
- はじめたきっかけと続ける理由は少し変わることがある
きっかけはなんでもいい
・はじめたきっかけは、いじめられっ子との関係
あんまりよく思い出せませんが、確かいじめられっ子に負けないようになりたいということだったと思います。のちにその子が高校テニス部のダブルスの相方になるのですがwそれはまた今度にします。
もともとインドア型の生活をしていたので、ちょっとした小競り合いでも勝てる相手は少なかったです。豆腐メンタル+ネガティブ思考という究極の合わせ技があり、小学校ではかなり高確率で泣いていたような気がします。
今思い返すと人生で初めて「なんか変わりたい」と思った瞬間だったかもしれませんね。
慣れるまではちょっと大変なこともあるけどやっぱり楽しい
・慣れない部活動
あまり運動をしてこなかった私にとって、最初の部活道は割とハードだった気がします。思った通りに身体が動かなかったり、ボールが来ると緊張してしまったり、相手を怪我させちゃいけないと、激しい当りができなかったり、なんかいろいろあった気がしますが、それでも楽しかった気がします。
人との相性はなんともしがたいこともある
・顧問に恐怖心を抱く
うちのサッカー部は弱小チームでしたが、顧問の先生は市の代表チームを面倒見るような、優秀な先生でした。本人も結構上手だったと記憶しています。手を挙げられたことはありませんが、よく怒鳴られました。
長く部活に在籍している友達や、足が速いとか特徴はよく誉めていたので、人格的に破綻しているような人ではなかったと思います。しかし私は光る特徴がなかったので、本当に怒られてばかりでした。
当時は「なんでこの人はこんなに怒るんだろう」とか「また怒られるからこっちにボール来ないでほしいな」とよく思っていました。
好きなことは上手になりやすい
・リフティングは楽しかった
足も遅かったし、利き足もろくに使えなかった私は、試合ではあまり活躍できませんでしたが、ボールを地面に落とさないようにするリフティングだけは、サッカーが上手な子と少し張り合うことができました。一人で地道にコツコツとやることが向いていたのかもしれませんし、たまたま記録が伸びて自信になったのかもしれません。
家族との一体感は大切
・だんだんと家族の生活の中心に
休日は練習試合がくまれたり、親子サッカー大会が企画されたりと、活動は割と豊富でした。父親もサッカー経験者だったので、息子が同じスポーツをやってくれて嬉しかったのだと思います。平日仕事で疲れていても割と積極的に車を出してくれたりしていた気がします。今では当時の友達とは疎遠になってしまいましたが、父親と昔話をするとよく当時の友達の名前が出てきます。しかし弱小チームだったよなwというのが締めセリフになるのですがw
はじめたきっかけと続ける理由は少し変わることがある
・当初の目標は果たせたのか
おそらく達成できたとみなしてよいと思います。相変わらず泣き虫は引きずっていましたが、明らかに泣く回数が減りました。取っ組み合いで競り勝つところまでは行きませんでしたが、友達も増え、肉体的・精神的に健康な生活を送れたと思うので、やはり「あの時挑戦してよかった」という風に思い返すことが多いです。
まぁ、顧問に対する苦手意識はずっと消えずに、小学校でサッカーを辞めることになるのですが、今でもサッカーボールを見るとまたリフティングしてみたいな、と思いますw
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
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